2025年の6月にあるルートを開拓初登した.その当時の様子はおそらくこのブログで最多となる11956文字を使って事細かに記載してある.
それからおよそ1年後の現在に遅ればせながら開拓後記としてこの記事を書いている.ちなみに表題に関してはルート名と同じくsupercellの『君の知らない物語』からいただいている.
真っ暗な世界から見上げた夜空は星が降るようで
そのラインに目を奪われてからは四六時中どうやったら登れるかを考えていた.手探りの中で開拓をすすめ無事に初登できてからは高揚を抑えきれなかった.SNSにどう投稿するか文章を練りに練ったし,ブログには前述のごとくあふれんばかりの思いを文字に書き起こした.
自分の中の嬉しい気持ちと並行して,ほかの人がこのルートをどう評価するのかというドキドキ感も抱いていたが,場所が場所だし自身の弱小SNSとブログで発表しただけだったので再登の気配は全くなく冬になった.

冬の間にこのルートのことを寄稿したROCK&SNOWが発売され,多少は人の目に留まるようになったからか最近SNSでこのルートを触ったという記録をみた.とてもうれしいことだ.
何度目かの開拓論争
2026年3月にとある記事を発端としてSNSで開拓に関わる議論が活発になっていた.この論争に関しては開拓というものにほとんど携わったことがなく他人をトレースしているだけの自分は発言できる立場にないと逃げ腰になり静観することにした.
そんな立場をとりつつもなんとなく気になって経過を追っていくと1週間ほどたって動きがあった.同ブログの中で,別のブログのとある記事を引用していたのだった.軽い気持ちでリンクを踏んでその記事を読んでいると,その中の一説が琴線に触れた.
少々長くなるが引用させていただく.もしかしたら”筆者”の主旨と異なった形で引用してしまった可能性もあるので気になった人はぜひ本文を読みに行ってもらいたい.
(前略)それにしてもわざわざ大掛かりな土木作業をして自然を改変してまで作り出すべきものだろうか?それはもうテーマパークや遊園地と同じではないか。外的リスクが排除された環境に浸かりすぎると、ヒトの危機察知能力が衰えていく。
そもそもクライミングは、フリーにしろアルパインにしろ沢にしろ、自然が提供するものをなるべくあるがままに受け入れる遊びだ。その意味では下地の大岩を重機でどけたり鉄パイプで足場を作ったりするのはチッピングと大差ない。
(中略)
日本のクライマーが岩しか見えていないというのはおかしな話だ。昔からこの国では森や木々や岩に神々が宿っていると考えられてきた。(後略)
Now here Man 開拓クライマーへの苦言(if not 大言)より引用
”筆者”も理想として論じているが,我々クライマーは時としてこの大切なことが頭から離れて行ってしまうことがある.
自然に優しいふりをした破壊活動
自身が開拓と言っている行為を省みた.何十年何百年,もしかしたら何千年とそこに生きてきた草を抜き,根を剥ぎ,風化した岩をはがすという破壊行為に他ならない.開拓しているときは,ただ単にそのルートを登ることに夢中になって大切なことが頭から離れていた.なんならボルトを打たずにトラッドスタイルで登ることで「自然に優しいクライミングをしている」とさえ思っていたかもしれない.


多くの人類と同じように,クライミングをすること自体が自然に対して優しくないことをしているのは間違いなさそうだ.それでも我々はクライミングをやめられない.それならばせめてそれを行うためには何かしらの大義名分が必要だろう.別の言い方をするのであれば,それまでのコンテキストに沿う形をとる必要があるのかもしれない.
つまるところ,
つまるところ,この記事で言いたいことはみんなにこのルートを触ってほしいということだ.ただ単に昨今の話題に便乗してこのルートを紹介しているだけだ.多くの人に触ってもらうことで後付けの大義名分を得ることができる.ぜひ私の罪悪感を薄めるのに協力していただきたい.





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