元来は伝統的な(traditional)クライミングという意味合いで使われていたトラッドクライミングであるが近年は人気が高まっておりカムを携えて岩場に通うクライマーを目にする機会も多い.ボルトを使用せずナチュラルプロテクションで登るという性質上,登れるルートは限定され5.12を越えるトラッドルートは決して多くはない.そんな中,瑞牆の中で一番人気のエリアであるカサメリ沢にひっそりと佇む1本のクラックがある.
「文武は両道」は5.12aのグレードにその名を刻み,生半可な覚悟で挑もうものならはじき返される.だがその内容は素晴らしい.ぜひスポートクライマーで賑わうカサメリ沢に場違いなカムをひっさぎて挑戦していただきたい.
瑞牆の名クラックたち
花崗岩の一大エリアである瑞牆には900を越えるルートが存在し今でもその数を増やし続けている.その中には当然トラッドクライミングのルートも数多にある.ところで瑞牆のクラックというと何を思い浮かべるだろうか.
歴史的な意義を持つ「春うらら」?
数少ない四つ星ルートである「カヌー」?
ワイドの登竜門である「よろめきクラック」?
日本最難のワイドクラック「不動の拳」?
このほかにも瑞牆にはクライマーなら一度は名前を聞いたことがある,いわゆる名ルートと呼ばれるようなものが山ほどある.これらのルートはその1本を登りに行くだけでも十分な価値があるルートでシーズンになると順番待ちをするようなものもある.だが瑞牆には名ルートながらその名が世間に広がらず時には残念ながら自然に帰ってしまったようなルートもたくさんある.
スポートクライマーで賑わうカサメリ沢
カサメリ沢は瑞牆のクライミングエリアの中で一位二位を争う人気のエリアだ.沢沿いに点在する岩壁・岩峰に数多くのルートが惹かれ,最盛期の春秋はもちろんのこと,夏にだって多くのクライマーが訪れる.
エリアの端から端までいっても30分程度でその中に5.8から5.14台の高難度ルートまで数多くのルートが存在しており,実力の異なるクライマー同士であってもみんなが楽しむことができる素晴らしいエリアだ.そしてその多くはスポートルートである.はじめての5.11や5.12を狙ってこのエリアに訪れる人はおれど,わざわざこのエリアにクラックを登りに来るクライマーはきっと少し変わっている.
カサメリ沢に産み落とされた不遇のクラック
「文武は両道」を登った人はおそらくすべからく高評価をつけるだろう.だがこのルートの名前はあまり話題に上がらないし,登ったことがある人は極めて少ないだろう.なぜだろうか?
ルートの問題?
いや,先ほど述べたようにルートの質は保証する.それにPDやRがつくような手を出しにくいルートというわけでもない.岩もしっかりしている.
難しすぎる?
確かに5.12aというグレードはクラックにしてはやや高めだが決して逸脱しているものではない.むしろ5.12aにしては登りやすいかもしれない.
アプローチが悪い?
このルートは人気のエリアであるカサメリ沢にあるし,何なら真実の口やNDD,トップガンなどの超人気ルートがあるコロッセオに行く際に途中にあり,これらの岩場に行った頃がある人であればおそらく目にしたことがあるだろう.
ではなぜか?
それはその立地に関係しているのかもしれない.カサメリ沢というスポートルートが9割を占めるエリアにおいては5.12aというクラックルートはあまりにも異質で登攀の対象とならないのかもしれない.実際にカサメリ沢にカムを持ってきているクライマーはあまり見たことがない.
文武両道 Well-rounded
「文武両道」とは,一般的に勉学とスポーツの両方のレベルが高い人に対して用いられる四字熟語だ.「文」は学問を示しており「武」は武道を表している.
いつこの言葉が生まれたかは定かではないが中国に起源があると考えられている.「文」は古代中国において事務や役人など頭を使う官職の文官,「武」は近衛兵や門番など体を使う職業の武官に由来すると考えるのが一般的だ
中世の日本においては「文」は必ずしも学問に限ったものではなく,和歌や書,時には茶道や絵画を意味し,「武」は文字の通り武道に関する技芸、武技、武術を意味していた.時代とともにそれに含有される意味合いは変化していき現代では先に述べたような意味合いで使われている.
とはいえその言葉の本質は大きく変化することはなく,精神と肉体のいずれも秀でていることを指す.ちなみに英語ではWell-roundedと訳されるが,果たしてクライミングにおける「文武」とは何を意味するのだろうか.
魅惑のトラッドルート「文武は両道」
さて前置きが長くなったがここからはこのルートの魅力を伝えていく.
文武は両道はカサメリ沢の秋場所ロックにあるクラックのルートだ.この岩には他にもクラックルートがありカサメリ沢の中では珍しいエリアとなっている.それ故にか訪れる人は少ない.
このルートは易しい凹角のクラックから始まりまずは小ハングを越える.そのあとに核心のシンクラックが続く.5mほどでクラックは広がりフレアした部分を越えると左のクラックと合流する.最後は5.8程度のワイドでフィニッシュだ.傾斜は垂壁で,一見短く見えるが30mあるロングルートだ.
ここから先はルートの詳細を述べていくが極力オンサイトトライに影響しない(と筆者が考える)範囲で行いたい.この極上のクラック,ぜひとも最初はオンサイトトライを楽しんでいただきたいと思う.オンサイトトライでしか味わえない魅力もたくさん詰まったルートだ.
何者も受け付けないシンクラック
核心部は誰が見ても一目瞭然,小ハング越えから続くフィンガークラックの部分だ.キャメロットのサイズでいうところの#0.2付近だろうか,男性の指ならば受け付けない部分も多い.とはいえもちろんフィンガージャムが決まるところはあるし,途中に見えているダイクはスタンスとして使えるし見た目ほど厳しくはない.それでもプロテクションのセッティングはシビアで5.12台のフィンガークラックを堪能できるだろう.
ダメ押しのワイド
フィンガーパートを越えるとクラックは広がり一休みできる.その上にある左のクラックとの合流部はクラックが浅く見た目より悪い.少し上がると木がありできることならこれは使いたくないが,クラックを遮るように生えており使用もやむない.最後には5.8程度とはいえダメ押しのワイドクラックが控えている.このロングルート,ここまでくるとさすがに5.8でも奮闘的だ.あまり人の入っていないルートであり泥まみれになってテラスに立ち上がる.どこからか吹く風が心地よい.
二つの道
クライミングにおける文武はいったい何なのか.スポートとトラッドか,フィンガーとワイドか,精神力と技術か,あるいは文字どおりクライミング以外に勉強や仕事も頑張れということか.このルートはいろんな文武を持っている.Well-roundedなクライマーになりたい.そう思わせるルートだ.
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