クライミングをしていると時に得も言われぬ快感を味わうことができる.もしかしたら人はそれを求めて日々岩を攀じるのかもしれない.
名張にあるサンクトプルトニウムはこの快感を味わうことができるルートだ.
緊張と緩和,そして痛苦と解放,その先には恍惚の瞬間が待っている.名張に足を運んだのにこのルートを登らないのは愚の骨頂だ.ナッツからワイドギアまで全部を鞄に詰め込んで聖地への赴こう.
プルトニュウム 5.10c
三重県名張市に香落渓と言われる観光名所がある.名張川の支流である青蓮寺川に沿う香落渓には溶血凝灰岩の柱状節理が約8㎞にわたって続いており見ごたえがある.この一帯は春は山吹やつつじが咲き誇り,秋には山全体が紅葉で覆われる景勝地だ.
今から40年以上前,日本ではまだ5.12台が登られていなかったそんな頃に,関西のクライマーたちはこの香落渓の柱状節理に目を付けた.通称「名張」と呼ばれるこの岩場には40mを越えるスケールのクラックを筆頭に数多のクラックが存在しており,今やクラックの聖地と言っても過言ではない人気エリアになっている.

名張の魅力は無数にあるが,その中のひとつに”ワイドクラック”があるのは間違いない.
ミニラや名張入門に始まり,ムササビ君の休暇村,ゴールデンボンバー,ゴジラパワー,チビゴジラなどグレード以上に手強いワイドクラックがそろっている.そんな数あるワイドの中で何人ものワイド嗜好家が名張最強のワイドとして名前を挙げるのが”プルトニウム”だ.
プルトニウムは第一岩壁にあるワイドクラックでキャメロットでいう#4サイズから始まり,#6サイズまで広がる.最後には#6をはるか足元に置いたスクイーズチムニーとなり石柱上のテラスに立ち上がるところまで登る.
名張にしては短めのルートではあるが,ルートのほぼすべてを苦しいワイドが占めており,かなり登りごたえがある.開拓に携わった杉野信介氏が作成した書籍(香落渓の岩場)には以下のように紹介されている.
プルトニュウム 17m 5.10c
(中略)
けっこうな肉体労働であり、高い露出感に快感を感じられれば、あぶない世界にトリップするのは目前である。
香落渓の岩場(杉野信介)
まさに核のごとく破壊力をもつワイドクラックがこのプルトニウムだ.
Sanct-プルトニウム
”Sanct(/sæŋkt/)”という語は他の言葉に冠することで”聖”という意味合いを付加する.もしかしたらサンクトペテルブルグという地名は聞いたことがあるかもしれない.これは正しくはサンクト・ペテルブルグであり”聖ペテロの街”という意味である.

これを踏まえると”サンクトプルトニウム”というルートは”プルトニウム”に”聖なる”という意味合いが付加したことになる.
サンクトプルトニウムは本来花テラスからトラバースしてクラックの途中から始まるプルトニウムを,その下部につながるフィンガークラック,そしてモモンガテラスを経由して地上へと延びるシンクラックをもつなげて登る長大なルートである.途中に2つのテラスを経由するためレッジtoレッジの原則から逸出しているこのルートだが,一方で地上から継続して登れるところまで登りきるというのは,むしろ登攀行為としてはとても自然なようにも感じる.

“サンクト”
そう冠するのに何も違和感を感じないくらいこのルートは清く尊い.
”ナバラ―”すら寄せ付けない危険な香り
いまやクラックの一大エリアとして名高い名張では,溶血凝灰岩で形成されクラック以外の弱点の少ない柱状節理を登ることになるため高いジャミング技術が求められる.そんな名張をホームエリアとして技術を磨いているクライマーたちは”ナバラー”と呼ばれ,時折名張を離れ全国津々浦々の岩場に姿を現し難しいクラック課題をいとも簡単に登っていく.
名張にはそんな”ナバラー”でさえめったに手を付けないルートがいくつかあるが,サンクトプルトニウムもそのひとつに含まれる.

”3時”という名のルートとして登られている下部はクラックというのは名ばかりで指が入る箇所なんて一つもない.その代わりにクラックは若干オフセットしていたり,他にもカンテやフェイスのホールドがあるためフェイスクライミングとして登ることができる.ただし,ここは名張だ.ボルトなんて1本も打っていない.わずかに広がっている部分を見つけてナッツやボールナッツ,マイクロカムをセットしながら登る必要がある.落ちればとまる保証なんてみじんもないプロテクションを足元に危険な香りがぷんぷんするクライミングとなる.

テラスを挟んだ先には本来プルトニウムの一環であるが省略されることの多い厳しいフィンガークラックがある.そこを経てようやくプルトニウムのワイドクラックにはいる.当然ここも苦しい.
グレードにすると”たかが”5.11bのルートである.屏風岩でモスラパワーやいかさま師を当たり前のように登っているナバラーにとってはお茶の子さいさいのはずである.だがこのルートにはグレードで表せない難しさ,厳しさがある.その風格,臨む際の緊張感,そして登り終えた充実感は5.12のそれらに匹敵するだろう.
あぶない世界につながる”ガリバートンネル”
クラッククライミングを興じるにおいて,同じサイズがずっと続くスプリッタークラックもとても魅力的だが,やはりいろいろなサイズがでてくるクラックはこの手のクライミングの醍醐味だ.

フィンガージャムからチキンウイングまで様々なサイズに適応する技術を習得しておかなければこれらのクラックは容易には攻略できない.代表的なルートととしては瑞牆のカヌーやペガサス,文武は両道などがあるが,いずれもさまざまなサイズがでてくるロングルートだ.
ここで名張に視点を移していると,名張にはフィンガーから始まり徐々にサイズが広がり,最終的にワイドになるという構成のルートがかなり多い.短いものでいえばチビゴジラ,長いものでいえば文句があるか,ゴジラパワー,パンピングアイアンなどがある.そしてサンクトプルトニウムもここに含まれる.

ところでドラえもんのひみつ道具の一つに”ガリバートンネル”というものがあるのを知ってるだろうか.公式ホームページにあるひみつ道具カタログには”大きな入り口から入って、小さな出口から出ると、からだが小さくなるトンネル。逆にくぐりぬけると、もとに戻る。”と書いてある.
フィンガーからはじまりワイドに終わるクラックを登っていると,筆者はこのガリバートンネルを通っている気分になる.最初は指しか入らなかったクラックが徐々に広がり,最後には体全部がはいるようになる,それはまるで自分が小さくなったかのようではないか!!...
...もしそんな気分を味わえたのであれば気を付けた方がいい.ワイドを登るのに必死になりすぎて脳が酸欠状態となり危ない世界にトリップしているかもしれない.
100年後の世界
冗談はさておき.名張のクラックに徐々に広がるものが多いのは,その岩壁が柱状節理が集まってできていることによるものだというのは想像に容易い.柱状節理同士は完璧にくっついるのではなく,それぞれが自立しておりその隙間を我々は登っているのだ.そしてここの柱状節理はおそらく長い年月の中で徐々に傾き,その傾きの大きな隙間がワイドクラックとなっているのだ.
そう考えるとこれから100年後,あるいは1000年後,10000年後には石柱の傾きはさらに大きくなり,その結果すべてのクラックはワイドクラックとなっているはずだ.そんな世界線があっても楽しそうだ.とか思いながら今日も岩に挟まる.





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